國學院大学陸上競技部の前田康弘監督について調査しました。
監督になってから16年となりますが、前田康弘監督が就任してから國學院大学陸上競技部は箱根駅伝の常連校となっています。
箱根駅伝2025は、國學院大學が三冠となるかの大事な試合!
行方が気になりますね。
強豪、國學院大學を育て上げた前田康弘監督はどんな人物なのでしょうか。
今回は、前田康弘監督のプロフィールや経歴の詳細、奥様やお子様など家族についてもまとめましたのでご覧ください。
ぜひ最後までご覧ください!
前田康弘監督(國學院大)のプロフィールや経歴は?
※画像引用元:OCEANS(2019年12月26日)
國學院大學の前田康弘監督について、プロフィール、経歴や実績などを調査しました。
調査してみると、少し異色の経歴をお持ちでした!
プロフィール
名前 | 前田康弘(まえだ やすひろ) |
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生年月日 | 1978年2月17日 |
出身 | 千葉県千葉市 |
出身高校 | 市立舟橋高校 |
出身大学 | 駒澤大学 |
実業団 | 富士通 |
指導者として |
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前田康弘監督は1978年2月17日生まれの現在46歳です。
高校卒業後は、名門である駒澤大学へ進み選手として活躍。
現役時代の箱根駅伝では2、3年ともに7区を走り3位でした。
4年生では、主将として4区を走り区間8位で駒澤大学の総合優勝に貢献しました。
【自己ベスト】
- 5000m 14分19秒27
- 10000m 29分23秒6
- ハーフマラソン 1時間4分6秒
【記録】
- 1998年度(2年生):箱根駅伝7区で区間3位
- 1999年度(3年生):箱根駅伝7区で区間3位
- 2000年度(4年生):全日本大会駅伝4区で区間3位、箱根駅伝4区で区間8位
経歴
前田監督の駒澤大学卒業以降の経歴をまとめてみました。
- 富士通に入社
- サラリーマンになる(20代後半)
- 平日サラリーマン、休日駒澤大学のコーチと二足のワラジ生活(2004年~2005年あたり)
- 実家の家業を継ぐため陸上から完全に離れる
- 父親が亡くなり家業を畳む
- 國學院大學コーチ(2007年~2009年)
- 國學院大學監督(2009年~現在)
実業団に入るも・・・
卒業後は実業団の富士通で陸上長距離選手となりました。
しかし、この富士通での選手時代は数年で幕を閉じます。
ご本人いわく「箱根の燃え尽き症候群だった」と。
高校時代から箱根に出ることだけを目標に設定していたそうで、いざプロになって個人種目で世界を目指そう!みたいなものには到底ならなかったようです。
駒大の箱根優勝が全てになってしまい、モチベーションもなく、覚悟もなかったと語っています。
自身の経験から「箱根で終わるランナーに絶対なってほしくない」と、箱根以降の競技人生を意識して過ごすように選手達には指導しているそうです。
以下は富士通時代の記録になります。
- 2002年 東京マラソン 2時間16分53秒(11位)
- 2002年 札幌マラソン 2時間19分46秒(11位)
- 2003年 別大マラソン 2時間16分38秒(12位)
二足のワラジ生活スタート
20代後半に競技から離れ、ごく普通のサラリーマンとなりました。
実業団を辞める際、恩師である大八木監督(当時の駒大監督。現在は駒大総合監督)に競技者をやめると挨拶にいったそうです。
そしたらなんと「明日から駒大グランウンドに来い」と言われ、平日はサラリーマン、休日は駒大のコーチをすることに。
陸上から完全に離れる
その後、サラリーマンを辞め家業の電気工事会社の現場で働いていましたが、お父さまが急死し会社は畳んだそうです。
20代後半から30代目前までが、初めて陸上から完全に離れた時期のようです。
その期間、お父さまの跡を継ごうと、経営ノウハウを学んでいたそうです。
サラリーマン時代でも陸上には携わっていた前田監督は、完全に陸上界から離れ、経営や現場の人たちとの交流することが挑戦でもあり新鮮だったようです。
一度離れて違う世界を知ってまた戻ってくるというのは、ものすごい強みのように感じます。
ゼロになり絶望からの
お父さまがお亡くなりになった悲しみと、家業を畳むという苦しい決断。
何もかも無くなった、と前田監督は絶望したそうです。
しかし、そこで道を照らしてくれたのはやはり陸上だったようです。
國學院大學のコーチとして声がかかり、2007年からコーチに、そして2年後國學院大の監督に就任。
就任時は31歳という若さ!
大学駅伝最年少監督が誕生しました。
指導者として大事にされていること
前田康弘監督は以前インタビューで「『心に響く指導』の大切さ」について語っていました。
人間ですから、いくら指導者の言葉でも自分が納得できることでなければやりたいと思わない。指導者としていかに選手の心に響かせるか、それが重要です
時代が変わり、選手達も変わってきている今、心に響くものも変わってきているようです。
選手たちのメンタルが昔とは違うようですね。
前田監督はその部分を「線が細い」表現されています。
例えば、練習でやれていたことが試合で出せない、周りの言葉にすぐに影響されて揺らいでしまう。
そういう選手が増えてきている印象とのこと。
必要なのは精神面でのケアで、どういった指導がその子に合うのか見極めるためにも「対話」を重視されているそう。
LINEなどが主流の世の中ですが、顔を見て話すことを大事にされているようです。
選手数も多く監督として色々お忙しいと思いますが、対話に関してはこだわり、時間も確保するようにしているそうです。
前田康弘監督の性格は、名門の駒澤大学時代に主将をしていただけに、明るく、気配りのできる性格です。
そして、一度陸上界から完全に離れ「経営」を実地体験されたことも、指導者として糧となっているのではないでしょうか。
監督としての実績
2009年から國學院大學の監督に就任され、2年後の2011年箱根駅伝で総合10位となりました。
2019年出雲全日本大学選抜駅伝競走で初優勝を果たしました。
2020年箱根駅伝での往路2位、総合3位の過去最高記録へと導きました。
そして2024年の今年、國學院大學は三冠に王手をかけています。
現在、國學院大學のエース兼主将の平林清澄選手はこう語ります。
「今年こそは前田監督の大号泣が見られるようにしたい。箱根駅伝総合優勝を取れるように全力で頑張ります!」
平林選手は、高校時代に数々の大学からスカウトされていたそうですが、2019年の出雲全日本大学選抜駅伝競走で初めて國學院が「優勝」を手にした際に、人目をはばからず選手を抱きしめ号泣する前田監督に心揺さぶられ、進路を決めたようです。
※画像引用元:OCEANS(2019年12月26日)
ちなみに、優勝候補のひとつでもある駒澤大学の監督をされている藤田敦史監督は、駒沢大学時代の1学年上の先輩です。
その後も、駒大→富士通と進路も同じで切磋琢磨されてきた間柄です。
今は監督として戦う間柄に。
「感慨深いです、チャレンジしていきたい!」と前田監督はお話されています。
※画像引用元:日刊スポーツ(2023年11月4日)
前田康弘監督(國學院大)は妻や子供はいる?
以下ネットの情報ではありますが、前田康弘監督の奥さまは、3~4歳年下の佳代子さんという方のようです。
ご結婚は、國學院大學の監督就任(2009年)のときだったようです。
お子さまは、2011年にお生まれで現在中学生ぐらいのようですね。
性別や名前は分かりませんでした。
2009年から夫婦で川崎市内の陸上部の選手寮に住んでいるようです。
選手寮の食堂奥の間取り2Kの部屋で生活しているようですよ。
まとめ
今回は、前田康弘監督のプロフィールや経歴の詳細、奥様やお子様など家族についてもまとめました。
様々な試練や紆余曲折を経て名将となった前田康弘監督。
まだ46歳と、監督としては若くこれからも長いので、國學院大學の更なる成長がとても楽しみですね。
國學院大学と前田康弘監督のご活躍を心から応援しています!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。